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朗読CD 「みすぐりの教え Vol.1」 最後の章は

「祈りなさい」

です。



「祈り」というと、神様への「お祈り」を思い浮かべて

ちょっと引いて?しまう方もいらっしゃるかもですが、

ここでは、人から人への「祈り」ということで朗読しています。




定義すると


愛する人に向けて、その人の幸せと満足を願い、無私の愛を送る行為




です。







難しいことだな、と思いました。


何が、難しいのか、わかりますか?



これ、↓です。



無私の愛



愛する人の幸せは、誰もが願うことだと思います。

でも、相手にとって幸せなことであっても、それが自分にとってそうでもないことだったら、

手ばなしで願う、という心境になれるかどうか。。。



愛情の濃さにもよるかもですが、相手の幸せと自分の幸せを

どうしても天秤にかけてしまう・・・。




なんて、色々考えていたら、こんなことを思い出しました。



私の父は、母と結婚する前、山男とまでではなかったようですが、

それでも、登山を趣味にしていたようです。

でも母は結婚するとき、父に、「登山はもうやめてほしい」、と言ったそうです。

母としては、家族があるのに危険を少しでも伴うような行為は、止めてほしかったのでしょう。

父はそのことを承諾し、山登りはやめたそうです。



父が亡くなり、遺品を整理していた際、初めてこのことを母から聞き、

複雑な気持ちになりました。

娘の立場としては、母の自分勝手な思いにとても憤りを感じてしまうのですが、

妻の立場だとしたら、また別なのかもしれません。


瑞穂さんは、こう伝えます。



祈る人の心の位が高いほど、多くの人や生き物を愛せますから、心の位が高い人は尊いのです。





何かをおそれたりせず、そして自分にとらわれたりせずに、人を好きになったり、そして深く愛したり・・・。

そうすることで、与えられた生を満喫できれば、どんなにか幸せなことか。。。。



朗読の中では、祈ることによって生じる6つの魔法力についても触れています。



そして

植物が必ず太陽に向うように、人の心は祈りを送ってくれる人の方へ必ず向います。

これは心の反応ですから、そのことには誰の心も逆らえません。

人間は高齢になっても母親を恋い慕い、究極の時には助けを乞う、それは母の愛が、止まることなく、常に子どもに向けられていたからです。

子どもの心が、自然に母の方へ向うのは、母の愛無私の愛だったからです。




親子の愛情関係は、微妙な部分もありますね。



そもそも親になる、というのは、みなさんどうだったでしょうか。



すんなり親になれた人もいるし、いつまでたっても親らしくなれなかった人もたくさんいると思います。



自分自信が親からどう育てられたか、そして配偶者との関係も、親として成長していくためには、大切だったりします。



こんなタイプの母親も、世の中にはたくさんいるのではないでしょうか。

自分の心の中に見えているものが、実は相手ではなく、自分のことだけだった。。。

そんな風にならないよう、いつも自分の心を見張っていたいと、思いました。




しかし、悲しいことには母親から無私の愛ではなく、優しい情の水をかけられて育つ子供も多く見られます。

「あなた方の面倒を見てきたのだから優しくしてね、そして老後の面倒は見なさいね」、

母親の祈りはこのような要求はしません・・・しない筈です。

母は愛の大きさ、強い祈りのために強いのです。

見返りを望む母の愛は、無私の愛ではなく、子供に恋している女の心に近い。

愛も恋も優しく微笑みますが、恋の微笑みは、慕ってくれればという条件付ですから、

他所を慕おうものなら、途端に夜叉の恐ろしさに変身する怖い心です。

母親は、子供にとって永遠の女神でありたいものですね。
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2009.08.13 Thu l みすぐりの教えVol.1 l コメント (0) l top

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